変容の運河へ、「帰れなさ」とともに
〜七尾旅人『Long Voyage』と、その航路によせて
安東嵩史

〈IX〉

 七尾の人生の混乱を救ったと言っても過言ではない犬たちのうち、一昨年に亡くなった兄犬の何物も意に介さないファニーな性格を歌った「Dogs & Bread」は、極めてプライベートな小品でありながら、本作のこの先の流れを方向づける重要な転換の役目を果たしている。犬たちと七尾の関係は、一見するとやや不思議なものである。実際に目にしたり、Twitterで時折見かけもするその姿には、ペットとして「愛玩」する/されるでもなく、家畜として「支配」「服従」するでもない、人と動物という境界を越えてお互いにライドし合いながらひとつの環世界をつくる「協働者」としての関係性が感じられた。ダナ・ハラウェイの言を借りると<一緒に食事をし、パンをちぎるが、消化不良がないというわけでもない>(*17)複数の異なった生命体がただ共生しているという、その感覚にこそ、七尾は安堵を覚えたのではないかと思う。彼が獲得した新たな安全圏について歌うこの曲の最後、<夢のように散らばるパン屑>という歌詞から、七尾の両親の若かりし頃を歌った「『パン屋の倉庫で』」が続く。

 この「『パン屋の倉庫で』」について、七尾は《『Stray Dogs』で肉親の自死を扱ったことによって、故郷に残された家族をさらに傷つけたのではないかという負い目があった。自分は幸せな子供だったんだよと、母親に言ってあげたかった》と語る。先述もしたが、前作『Stray Dogs』での七尾は亡き人への思慕を歌いながらも、そのパーソナリティに光を当てられるほどには、まだ出来事との距離が取れていなかった。トラウマとの向き合いにおいて、その時点ではまだ「ゼロ地点」(*18)付近に沈んでいたのかもしれない。そこから少しの時を経て本作収録の「『パン屋の倉庫で』」で描かれたのは、戦後に七尾の母方の祖父母が設立した養護学校が経営していた東京・小岩のパン店にまだ学生の身で住み込んで働き始めた父と母、そして旅人少年の物心がつく前までの物語である。家族から聞いた話や残された写真などから立ち上げた、極小の創世神話とも言える。やがて一家は高知へ戻り、旅人少年は音楽家となり、ほかの家族は紆余曲折を経てみな養護学校の運営に関わるようになった。
 ここでは、七尾の父がどのような人だったのか、少ない言葉の中でも聴くものがありありとわかるように語られている。<七十年代の終わり 確立されない障害者の権利/世間は笑う 何もできやしないさと>というフレーズからは、いまだ高度経済成長の夢の中にいた日本社会において顧みられない人々の状況を向上させていきたいという志を持っていたことが伺えるし、その理想や信念とともに育った旅人少年がイマジネーションを膨らませながら育つ環境を与えてくれる両親だったことも、エンドレスの寝物語を聞かせてくれたという逸話や、曲後半のファンタジックな展開から想像できる。『Stray Dogs』収録「崖の家」では<いつか 大きくなって 俺の代わりに どこでも行けよ>と繰り返していたことも鑑みるに、七尾の父はおそらく、自らの願望や価値観にもとづいて長男である旅人の言動や選択を制限したり干渉したりするパターナル(父権的)な人物ではなかったのであろう。そのことが、七尾旅人という表現者の人格形成に大きな影響を与えている。