変容の運河へ、「帰れなさ」とともに
〜七尾旅人『Long Voyage』と、その航路によせて
安東嵩史

〈III〉

 未曾有のパンデミックの中で、日本に暮らす人々もまた、ひとつの気の重くなるような事実と向き合うことになった。失業や廃業、大幅な減収を余儀なくされた人々がいる中、飲食店や夜の街に感染拡大の原因があるかのような印象操作に終止しながら無策を糊塗し、足元の困窮者を顧みることなくオリンピックに邁進する政治、あるいは休業支援金を受け取れない非正規労働者、特に困窮した女性の失業や自殺が急増したことに対してその当事者に非があるかのような自己責任論を振りかざすものの姿が身も蓋もなく示したのは、この社会がすっかり他者の痛みに対して実に冷淡で無関心なものになってしまっているということだ。これはパンデミックによってゼロから発生した事柄ではない。もともとそういう性質であった断層が顕在化しただけであって、この船もまた、とっくに大きく傾いていたのだ。

 そんな中にあって、七尾旅人は精力的に動いた。自らも演奏の機会が消滅する中、早々と開始したのは対コロナ支援配信プログラム「LIFE HOUSE」。ゲストとオンラインで対話をしながらともに音楽を奏でていくさまをオープンに配信し、投げ銭での収益をそのまま相手に渡すこのプログラムには、実に多彩な顔ぶれが出演した。
「不要不急のもの」という扱いを受けて窮地に立たされた音楽家やライブハウスなどの文化・芸術関係者、平時からの社会構造の歪みをパンデミックにおいて改めて感じていたであろう医療従事者や障害者といった人々。また、常々そのセクシュアリティを「ノーマル」でないものと扱われてきた仲間たち、そして実はいかなる時節においてもその声を真っ当に聴かれる機会の少ない子供たちといった、当時喧しかった「(ニュー)ノーマル」のような掛け声の主が想定する「ノーマルな社会」の規範から、逸脱したり秩序を撹乱するものと扱われてきた人々。あるいはパンデミックが中国発だという理由で個人としては何らいわれのない非難を受けた中国人アーティストや政府や社会の動きが日本とはまったく違ったスピード感を持っていた台湾の仲間など、自分たちの暮らす社会を外側から照らし返すような視座を持った人々。こうした人々との対話は、現時点で22回を数えている。
 また、年が明けても続くコロナ禍のなかで、孤立したまま日々の食料調達の手段や資金を失った自宅療養者のためのフードレスキューも開始した。志を同じくする人々が全国でこれに呼応し、今もなおいくつもの食料品と共助の意志が運ばれ続けている。

 こうした動きはもちろんパンデミックによって苦境に立たされた人への支援であると同時に、これまでにもさまざまな即興ライブや舞台芸術を行ってきた七尾なりのパフォーマンス・アートとしての側面も持っていた。すなわち、人々が自己防衛意識の中に引きこもり、身体というある意味最も保守的な単位を脅かす可能性があるものとして他者を排除し、自ら閉塞していくなかにあって「他者と関わり、社会に働きかけることを放棄するわけにはいかないのではないか?」という投げかけである(もちろん、余力のないものにそれを強いるものではないことは、それぞれの活動における彼の言葉が表している)。結果的にそうした活動が七尾の言葉や思考と連関し、ライブやレコーディングといった通常の活動ができない時期において重要なインスピレーションともなった。この時期に開設したnoteのアカウントではそうしたプロジェクトのことをはじめ感染症に翻弄される日々のあれこれを綴りながら、さまざまな人との出会いや会話をきっかけに生まれ続ける楽曲を次々とアップしていく。そこで描かれたのは学校でいじめを受けたミックスの女の子、軍事政権の迫害を受けるミャンマーの人々、この社会でさまざまに周縁化された人々、そして彼にとってかけがえのない存在である犬たちのことなど。『Long Voyage』の骨格となっているのは、この時期に生まれた楽曲群である。

 そうした経緯もあって「パンデミックの中で生まれた作品」という見当はついていたものの、届いた音源を聴き進めるにつれ、それがこの上なく多声的であり、長い時間軸をたどりながら目の前の現在へと確かに着地するものであったことに、筆者は素晴らしい音楽を聴いたリスナーとしてでもなく、重要な同時代の作品を届けられた評者としてでもなく、単なる友として深く安堵した。なぜなら、2018年12月に発表された前作『Stray Dogs』は肉親の自死という巨大なカタストロフと相対しながら、いくら答えを求めても得られはしないその出来事が何であったのかを心中の虚無から削り出すように形をとった作品だったからだ。そのことを語る前に、ここで少し、個人的な関係性とともにここ数年の七尾の歩みを記すことをお許し願いたい。

(※本稿執筆を前に、改めて十二時間ほど七尾と対話をした。以降、その中で語った本人の言葉は《 》で表記する)