2005年2月


2月21日

ただいま。

元気かな?

サイト長い事放ったらかしてしまって、
楽しみにしてくれてた人、スミマセンでした。

ちょっと主旨を変えて
またちょこちょこ更新していければと
思っております。




2月23日

最近ちょっと春めいてきたよね。

皆どんな調子で生きているかな?
お陰様でおれは元気に音楽やってます。

華麗なる賭けに出た中西さん。
生還したヴィーナス。
散々お世話になった木村さん。
田舎の家族。

昨年か一昨年、黒板星に電信くれた給食のおばちゃんとか、
SM嬢とか、
教習所でいらいら来てた奴とか、
冷蔵庫に虫が沸いた奴とか、
受験勉強がんばってた奴とか、
絵とか小説とかDJとかがんばってた奴、
かゆみが止まらない奴とか、
唇の皮がむけて困ってた奴とか、
よく海で高波にさらわれた女の子、
自分が帰国する時期に合わせてライブやってくれと頼んできた奴、
めちゃめちゃ落ち込んでた奴、めちゃめちゃ喜んでた奴、

たくさんの皆。
元気かなあ?



2月24日、木曜日
連載やってます


そういえば、報告が遅れました。
今、MARQUEE(マーキー)という音楽雑誌で連載を一本やってます。
最初コラムを一本頼まれて書いたのですが
それが次号から連載に発展する形になりました。

その最初のコラム、
僕が当サイト第一次活発期に感情的&分裂的に書きなぐってきた
音楽全般に対する考え方、そして、未来の音楽に対する期待を
大雑把ながらも簡潔にまとめたものになってますので
編集長MMMATUMOTOさんの転載許可を得て、
以下に本文だけ掲載します。

※連載開始後の2本の原稿も、
本文末尾のリンクから、小さくですが閲覧できます。
ここから連載タイトルを命名し、『それでも地球は歌っている』になりました。
文字内容は読めないので申し訳ないのですが、ぜひ見てみて下さい。
昔リトルモア誌でやってた自分自身非常に印象深い仕事、
『ヒーリング系作曲劇画、シンガーズハイ』
のような情念は無く、ゆるーい内容ですが、
それって自分内ではちょっとした挑戦だったりして、楽しませてもらってます。
原稿仕上げに(ここ3作でジャケをお願いしてる名デザイナー)
セントラル67の木村豊さんの力を借りる事によって、
原稿の見栄えがかなり良くなってます。
読んで!ね。
バックナンバーをサーチしつつ次号からリアルタイムで追い、
かつ編集部に「七尾の原稿が愉快だった」と
葉書やFAXで投書しよう!ね。頼む!
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読み飛ばすとモッタイナイ・オバケが出るぞ!
地下歌手七尾旅人による、魂の音楽講談!


どうしたって僕達は、音楽が大好き!
じゃあ、音楽って結局のところ、何???
リズム?メロディ?ハーモニー?テクスチュア?
リズムって何?音楽家のその日の脈拍?はやる気持ち?
メロディって何?感傷?思いの綾?それともスピーチマナー?
ハーモニーって何?濃縮された時間?摩訶不思議な共時性の現われ?
テクスチュアって何?音楽家の肌にまとわりつき続けたもの?
湿度?社会情勢?
う〜ん。
実際にはきっと、全てが渾然一体となった場所から
音楽が立ち昇ってくるのだ。
だから、一概には言えないみたいだなあ。
ファンカデリック!ジョンレノン!サンラ!川西杏!
小室哲哉!マーヴィン・ゲイ!パスコアル!ムーンドッグ!
ジョアン!つんく!アクセル・ローズ!ロバート・ワイアット!
マックス・ローチ!KORN!
じゃがたら!フェラ・クティ!安東ウメコ!
マルコム・マクラーレン!スタン・ゲッツ!
バート・バカラック!ベキ・ムセレク!
ジョン・ケイジ!エノケン!L?K?O!空気公団!
笠置シズ子!ジョニ・ミッチェル!
ローラ・ニーロ!コリン・ブランストーン!

様々な音楽家が、様々なアプローチで音楽を作る!

果たしてそこに、一定の法則なんて見出せるのだろうか????

嗚呼!
あった!
ありました!!

音楽家は己の魂そのもの、あるいはそこを透過したものを表象する事から、
逃れられないのだった。
どれほど嘘をつこうが、製作過程に大勢の手が入ろうが、
時限装置や動物やアメリカンクラッカーや発作を使用して
偶発性から音を編もうが、
音楽家は、「己が魂を露呈する事」から逃れられないのだ。
ガガーン!
音盤とは幾分か恣意的に洗練され編み上げられた、「魂」だったのだ!

なので、僕達の大好きな、
音楽鑑賞、
それは、
隠し難い
「魂」そのものを
享受する事
であると、言えそうだ。

これは「自我」がとても重要事となる近代のポップミュージックに限らないのだ!
(なぜかというと、魂と自我は違うからDA!
自我が地表だとすれば魂は核DA!)
各種、民俗音楽、宗教音楽、工場で流される効率促進のための音楽、
ヒトラーが演説時に流した超低音、
全てが余すことなく
魂の在り様、そして、
そこを媒介として表出した風景、世界の揺れ、動揺を、鳴らしている。
地霊の様なそれ、全ての終わりに残されたそれを紐解けば、
そこな時空において求められたもの、嫌悪されたもの、
その結果試みられた事等、逆探知可能な事柄に充ち満ちていることが知れる。

例えばラジオから賛美歌が流される時、聞き手の潜在意識化に「一神教の型」、
信仰者と唯一神ヤハウェの間に巻き起こる
「祈り←→愛や歓喜と呼ばれる精霊化されたエナジー」の
需要供給の型が、知らず知らずのうちに刷り込まれ、感得されているのである。
はたまた甘茶けたソウルが大量に流される折、
我々は劣情を抱き、いつしか大人のマナーを身に付けるのである。
ダンスミュージックに身を浸し続けた子供とそうでない子供の間には
「人生という過酷でいて至福な音楽」においてその終焉まで
むらっ気たっぷりに打ち鳴らされ続ける不整脈の如きビート、
その「乗りこなしの困難」に対するスキルの差が、歴然と観られるのである。
うまく波にノレるのとノレないのとでは大違い、なのだ。
音も鳴ってないのにしきりに体を揺らせたりリズムをとってる人、
見かけたことあるでしょう?
なんだか知んないけどノリノリ!
それはとても素敵な事なのだ。

ここまで読んで下すったアナタ!
これから筆者が人間の精神をPCに例える鈍感と無作法を許して欲しい。
そう、音楽とは、[魂のOS]とも言えるのではないか?
あなたは音楽鑑賞の中で知らず知らずのうちに
人生に対するビート感覚を養い
遠い彼方の民の心をふるわせた有り得ざる光景に共振し
時にはギャングスタな気分を味わってみたり
一人旅の道中、新幹線の中で素っ裸になってはみたけれど
しかられるでもなく笑われるでもなく婦女子がパニックに陥るでもなく、
とりたてて誰にも注目してもらえなかった時の感傷、といった
非常に限定的な感覚さえ追体験し、
我が物とすることが可能なのである!

※優れた音楽家とは極めて特権的かつ有益なアップデイト情報を
ピンポイントで音盤化し得る、技巧と、
精神の高さを持った者なのでは?という仮説は可能である。
筆者のような下卑た人間にはなかなか困難な事だが、代わりに
国府達矢という天才音楽家を、この場を借りて激しくお奨めしたい!!
彼は近代に暮らす一個人の祈り、仏教的調和から派生する余りに美しき魂のありようを
奇跡的な手つきで音盤に定着させた。
これは一神教がもたらした近代世界の、近年誰の目にも明らかな限界、
あるいは、音響派、エレクトロニカなどの90年代の音楽的遺産、
音の、その一粒の粒子への自意識が極まったその先、果てに咲いた、奇跡の花。
歓喜と静けさにまみれた「解脱」的瞬間の高みを数十分間に渡って展開し
聴き手に追体験させ続ける前人未到の一枚。
現在唯一の、21世紀の音である。しかし、20年早かった...。見事に黙殺された。
彼はバンド解散の憂き目に会い、
レーベルも離れ、再び日のあたらない場所を彷徨っている。
www.kokufutatsuya.com

ハート・トゥー・ハート!
心を重ねて、アップデイトしようじゃないか!
この異様な時代を乗り切るために。

経済による世界均一化グローバリズムなんざ糞食らえ!
我々日本人は類まれな音楽環境に身を置き続けてきたのだ。
世界中の音楽ファンがよだれをたらして羨ましがってるゾ!
ここには、あらゆる世界の音が流入してくる。
この小さな極東の島で世界音楽という名の魂群(スピリッツ)は混交し
新たな21世紀型日本人を生むのだ。
それはドゴン族のバネと一神教世界完全崩壊後の処方箋を持ち
視覚芸術と完全同期したパフォーマンスを繰り広げる
ヒューマンビートボクサーかもしれないし
ルードボーイの魂と宮沢賢治の魂を併せ持つ若き歌舞伎役者かもしれない..。
嗚呼、至福のグローバリズム。
私はここに、音塊のグローバリズミクスを提唱したい!
それは、ミクスチャー、折衷主義とは似て非なるもの。
それゆえ2004年現在、大急ぎで誰かが
魂について語り始めること、これ、不可避なのである!

熱くなってしまい咄嗟の思い付きを書き殴ってしまったが要するに
音楽鑑賞とは、
魂の交感、上書きに他ならないのだった。
だから僕達は小さなブレス(吐息)など、
微細な感情のあやさえ聞き漏らすまいと耳を澄ませるのだ。

さて。
追体験&上書きのメディア、
魂の結晶としての音楽に、
筆者は長い年月心を奪われ、
焦がれ、追い求めてきたが
昨年、新局面を迎えたのでありました。
それは、
「およそこの宇宙に存在する、万物全てが、うた(音楽)なのではないか?」
君!!!
今読んでいてくれる君、君こそが音楽なのではないか???
そうだ!!!!!!!
みーんな、みんな、音楽なのだ!という認識である。

君の魂、あの子の魂、彼の魂、様々な魂に触れ、聴き取り、
己の魂に重ね合わせ、新たな音楽を生むと、
そうした営為を繰り返してきたにもかかわらず
そのことにまつわる言語化が遅れてしまったのは
完全に、筆者の落ち度であった!
故に、今こそ、声を大にして言いたいのである!

君。
今これを読んでくれてる、あなた。
あなたこそが、無上の音楽なのだ、と。




この続きは筆者の新譜で確認してほしいのだ。
読んで下すって、有難うございました。

FIN.


ここ押すとこれまでの連載原稿のミニミニ版を閲覧可能


`



2月25日、金曜日
ありがとうスーパーカー、
莫迦だねサヨナラ七尾くん、
ありがとうごめんな国府さん。


明日、スーパーカーの最後のライブですね。
昨年春頃「ナナタビ」やらせてもらって、
マキシでも重要な役割担ってもらって、
ナカコ君&ミキちゃんとはその後も友人関係が続いてます。

いきなり個人的な内面吐露で悪いけど、
正直おれ、最初は気持ちがどっか突っ張ってたの。
ツアー参加に対して。スーパーカーに対して。

さらに話をねじれさせて良いですか?
今夜は話させてくれい。お願い!

超個人的な話です。
興味ある人だけ見てね。


ロングロングタイムアゴ〜
子供時代からおれ、しなやかさが全く無かったというか、
人生上手く乗りこなせない感じのマヌケ・キッズでさ、
7年位前にCD初めて出せて、
やっと好転するぞ!って思ったら、輪をかけてしんどさ増す一方でさ、
どんどん尖って行った。
抜け出し難い問題がどんどん降りかかってくる感じでさ。
当時は気安く話すような仲間もなくて、
結果だいぶ内省的になってあれこれ考え続けた。
うた、音楽、その未来、人間、その未来、命、その連なり、宗教、媒体、媒体的、
病理、抗体、シャーマニズム、神、悪魔、仏、薬物、酩酊、穢れ、挫折、堕落、
etc、etc
ドンくさかったな、と思うよ。
「音楽」について、寝る間惜しんで考えてた割には、
心身にき過ぎちゃってて基本的に臥せりがちだったから、
楽しいこと考えながら楽しんで作る、だとか、演奏する、だとか、
瑣末なとこでは、誰かと音楽談義に花咲かせるとかさ、
そういう、音楽の「楽」、楽しみの部分については、ほとんど知らずに来た。
知ってる振りはしてたけどねえ。
頭も良い方じゃないしね、随分回り道した。
でもそれはね、今自分の財産になってると思う。多分。それありきというか。
だから結果オーライなんだけど、
よくないヴァイヴも随分出してたというか、
周囲に迷惑かけたなって思うんです。
もの凄くネガティブでいて、狭量になっていた。

ガキの頃は、頑ななところは既に有ったと思うけど、
他人の作品に対しては大分オープンだったはずなの。
歌謡曲、スカムミュージック、カレッジバンドのような
一見自分と関係が薄そうなものでも偏見無く大量に聴いた。楽しんだ。
他の何がつまらなかろうが音楽聴くのだけは楽しかったねえ。
90年代的な(?)、何でも批評対象として楽しんでしまうようなスタンスを、
一応、会得していた。
でも2000年頃から、無茶苦茶ストライクゾーンが狭くなっていった。
ポップミュージックに愛想がつき、
民族音楽や宗教音楽をほんの時々流す、という鑑賞スタイルになった。

待っても待っても、こくだらない音しか鳴らされないから、
嫌になってしまったんだよ。
技術的にどうこうではもちろんなくて、
「魂に及んでいない表現」の異常繁殖と言うのか。
目に余るものが有った。
同期や少し上の世代で才能あった人も、
どんどん駄目になっていってるように見え、悲しかった。
駄目んなってるのに業界からもてはやされて、
のうのうと生き残ってんのがまた辛い。
放っておくと、下の世代に不味いものばかり残してしまう事になる。
まあ、おれごときが、偉そうにも、そう思ってたんだよ。
ともかく自分自身は聴けなくなった。追う気力も失くしてしまった。
今のところは一個人から離れて、
民族全体や惑星全体、宇宙全体が鳴っている様なものを聴きたいと、
そう思った。
その結果、民族音楽や宗教音楽へ。

こんな調子で慢性的な厭世観や敵意を抱えていたから、
そもそも悪循環の中に居たのに、ますます世界は狭くなる一方だったな。
自分自身の作品にも激しい嫌悪と絶望を感じていた。
正直、
同時代のポップ・アーティストとしては、
国府達矢しか認めてなかったよ。

春に野音出ることになったけど、
あの素晴らしいバンドROVOさえ物足りなかったんだ。
生意気にも程が有るけど、
おれの心が、音楽の未来、希望を感じ取れたのは国府達矢だけだった。
国府達矢しか見えなくなっていた。

そんな状態の延長線で生きてたから、
ナカコ君がせっかくオファーくれた時
嬉しかったけど、最初はかなり迷った。
少なくとも、彼に実際会うまでは。
『さいはて』も制作中だったしね。


何年たったかなあ?
なかなかの覚悟で『ヘブンリィ〜』を作ったつもりだった。
でも死に損なった。ろくなものにならなかった。
もし良いところがあったとすれば、それは制作を手伝ってくれた数人のお陰で。

作るに当たって随分争った、失った。
必死のおれ、憑き物がして、醜悪だった。
制作終盤、駄目になりかけた時、国府達矢登場して、
唯一の友人として、支えてくれた。
おれの様子見に来るたびに当てられちゃって熱出してたなあ国府さん。
申し訳ないことをした。

作り終えたらおれは潰れた。
そっから今度は国府達矢と争いだすんだよね。
彼はおれの醜悪さを見て心底悲しんでいた。
自分ほんとはそうやないやろ?と言う訳です。
だから心の奥底から関わろうとしてくれた。優しい人なんだよね。
「友人」の本当の意味を知らなかった俺に、7つ上の、
本当の友人として、それを、
刻み込もうとしたものと思う。
でも自分は消耗していて、彼の批判を受け入れる力が無かった。
批判は非常に深い部分にまで及んだ。
宗教的な場所にまで。

その瞬間に
長年支持して来たはずだった国府達矢の音楽を、僕は初めて理解した。


それまで普段宗教の事など、意識して考える事がほとんど無かった。
子供の頃、ちょっと悩んでた事はあるけどね。
ともかく自分には受けきる余力が無かった、ので
奥底で何かが折れかけ、一層ひしゃげた。
弱ってる時にあまりに強い価値観が流入して来ると
ちとキツイよね。なので
正気を保つために必死で宗教に関する知識を得ようと試み、
己や世界の内部、そして国府達矢の中を、覗き込もうとした。
そこで得たものが『ヘブンリィ』や『蜂雀』でやり損なった事と、
じわじわ結合していった。
そのフェイズでしか作曲が不可能になった。
憑かれたように作った。
妄執抱えてマゾヒスティックに下降してゆく僕の気質の傾向を
治癒しようとした国府達矢の行動は、ことごとく裏目に出た。
自分は一層憑かれ、下降していった。
関係が悪化するばかりなので、連絡も取り合わなくなった。
自分は激しく感化されると同時に、拒絶しようとした。
感化の結果の一つとして、自分は仏教徒となっていった。
拒絶の一つとしては、彼との宗派の違い。
彼の宗派が好きでなかった。祈りをまとった攻撃性と自己増殖性、排他性。
彼があれほど否定する一神教に、むしろ近い、
相似形と言っていいようなその構造。
彼の信仰対象の代替えに成り得るものを探したいという気持ちも有った。
僕が辿り着いたのはとても素朴な原始仏教。

曲は日増しに増え続け、収拾の仕方に困り果てた頃、
結実の形がようやく見えた。
曲順も決まり、根幹をなすアイデアも固まった。
『さいはて』
宗教をメインテーマで二枚組、最後のつもりで、次は無いと思って作っていた。
始めた時点で心身限界だった。
国府達矢と心中するつもりだった。
国府達矢の音楽は美しすぎ、新しすぎ、孤高すぎた。
世界史的な視点からここ数十年間のポップミュージックを見渡しても
最も突飛なことが、この極東の島国で起こってしまっていた。
ようやく再デビューしても、当然の様に黙殺された。
なので、その音楽を相対化し批評対象とする、
ほんの材料にでも成り得る何か、必要だった。
明らかに自分では役不足、荷が重すぎたが、
国府達矢が長い苦闘の末に奇跡的に実現した
「仏教的調和と音楽の、意識的結合」の向こう側に、
僕の、薄汚い心根が、その精神的結構を
なんとか変容させてゆこうとするその過程を、
ありていに言えばキリスト教ドロップアウト的メンタリティ
(マリリン・マンソン)から
仏教的精神への移行、改宗。 
そのドキュメントを音楽化し、配置したかった。
これを体験的に作品化出来るメディアは実は音楽だけ。
小説でも絵画でも可能は可能だが、音楽だけが何度も再演され、
受身の観客、全く気乗りのしてない観客さえ巻き込む
求心力を持ち得るのではないかと。
要するに音楽は、お客さんにとって手軽である、と。  
数分で終わる。
大した要求はしない。ちょっと耳を借りるだけだ。
挑戦してみようと思った。

でもね、俺のしょぼい才能や、無いに等しい技術では、遅々として進まなかった。

そんな頃ナカコー君がオファーくれたんだよな。
「最悪、パン食ってるだけでも良いから出てよ」って。
その思い、無茶苦茶嬉しかったし、
スーパーカー良いバンドだなって。1stとか俺、随分聴きこんでたし。
でも、繰り返しになってしまうけども
前述のような有様だったから、大いに悩みました。
『さいはて』をうっちゃらかして彼らのツアーに参加する事は、
自分に対して、国府さんに対して、お客さんに対して、
大きな変節になってしまうのじゃないかと。

ただ、やっぱりこれは非常な運命を感じるオファーだった。
オファー蹴って『さいはて』制作急いで完成させても
インディペンデントだから宣伝はチラシ一枚刷るのが精一杯。
「コマーシャル」とはかけ離れた内容だし、
自発的にどんどん売れていくことも無いでしょう。
ぶっちゃけるけど、何よりもまず、オイシカッタんだよ。
サポートなので、裏方的に、
大切なツアー成功に尽力することが当然の第一義だけど、
報酬として、少なからず注目もしてもらえるでしょう。
そんな下心も抱えつつ、一緒に旅に出たんだ。
こんな奴が混ざってしまって、スーパーカーのお客さんに謝りたい。

でも、最初こそそんなだったけど、
日増しにのめり込んでいく自分に、びっくりする位だった。
考えてみりゃバンド願望の塊だったんだ。
シンガーソングライターがさ、
同世代のこんな良いバンドに混ざれるなんて、
滅多にあることじゃないでしょう。
『さいはて』とそれに至るまでの異様なプレッシャーから解放され、
自分は随分活き活きと他人の曲に関わった。
おれが彼らにリクエストしてあった曲を、終日に、
ホントに演ってくれたのも嬉しかったな。
昔、凄い特殊なシチュエーションで耳にした、思い出の曲だったの。

リハとツアー本番の
二ヶ月間アルバム作業を止める代わりに作り始めたシングル、
『およそこの宇宙に存在するあらゆる全てが歌である事の最初の証明』も、
思ってもみない方向に転がり始め、映像作品までくっついた。
ナカコ君とミキちゃんが信じられないような素晴らしい客演をしてくれた。
最高のテイクが録れるまで嫌な顔一つせず何度も何度も演ってくれた。
ミキちゃんの笑い声が入ってたでしょう?手前味噌的になっちゃうけど
おれあんな良い笑い声、CDから聴いたことないよ。
彼らが帰った後、おれ、ちょっと泣きそうになっちゃって。
何か、色んな思いがして。恥ずかしいんだけどさ。

全く対極の場所で対極の育ち方をしたと思われる音楽家と
幸せな出会い方をした事は、僕にとって凄く良い薬になった。

そして、『さいはて』完成の後、もし元気にしてたら始められたであろう事を、
自分は事故的に作ったシングルによって始めてしまったんだ。
なので、今でも少なからず未練はあるけど、
『さいはて』を一反脇に置いたままで、
『絶景かな』という違ったアルバムを作ってます。
これについてはまた改めてちゃんと説明します。

好き勝手に話して申し訳ない。人称もころころ変わるしさ。。。
これは以前ひと騒ぎして読者の耳を汚してしまった
乖離云々とは一切関係なく、文章力のなさですね。
趣旨変えると言ってサイト再開したけど結局こうなってしまった。


ナカコ君ミキちゃんとたまに遊ぶんだけど、いつも楽しい時間もらってます。
林檎むいてくれたりして、俺がワーイ!って食う。
青森の林檎、無茶苦茶ウマイ、半端ない。

解散について教えてもらった時は複雑だった。
オファーが来て、もらった新作聴いた時すでに、
胸騒ぎめいたものはあったから。
だからツアー中、
「一人欠けても成り立たない珍しいバンド、スーパーカー!」
なんつってみたりしてて、もちろんそれ本心だし
もっと長年やって欲しかったとも思うけど、
それぞれ特別な才能を持った人達の集合体だからこそ
これからのソロなりが非常に楽しみでもあって。
元々ソロの自分としては、あんまりネガティブに捉えられない。
自分自身、これまでに散々移籍もしたしレーベル崩壊もあったし、
何かがバラけて行く悲しみは解るつもりだけど。
ナカコー君もミキちゃんも今、凄い面白いもの作ってて、
やる気まんまんだと思うし。
未来に対してとてもポジティブだから。


明日、観に行ってきます。
1秒1秒を耳と心に焼き付けようと思う。


長々失礼しました。



2月26日、土曜日
スーパーカー解散


新木場行って来た。
もの凄く正直なライブだった。
観れて良かった。

MC一切無し。

ハケ方に顕著だった
ひとかけらの感傷も許さないような
見事な解散ぶり。


終曲でナカコー君は奏でながら密かに弦を緩め始め
最後には引きちぎってしまった。
アンコールは無いのだなと思った。
すっと出て行った。
ミキチャンが続いた。
ちょっと所在なげにコーダイ君が続いた。

弦を失って放置されたナカコギターが悲鳴を上げ続けている。
壊れたギター。
非常に無機的な、棒状のフィードバックノイズ、止まらない。
変調をきたし、破裂寸前の、機械のようだ。
最後に残ったジュンジ君が
無造作にギターを置いた。
「ゴーン」という様な、リバーブで間延びした音が
壊れたギターの悲鳴に一瞬重なり、やがて消えた。

ジュンジ君が出て行った。
舞台は空っぽになった。

スーパーカー。
90年代の後半の、
ポップミュージックにまつわる一つのミラクルを象徴した一台の車が、
走行を止め、奇妙な音を立てている。
悲鳴、フィードバックノイズ、続いている。
客席を埋め尽くしたお客さん。
誰も、一言も漏らさない。
空っぽになった車内を見つめている。
固唾をのんで見守っている。
奇妙な音はやむ事が無い。
ノイズは大音量で続いている。
鼓膜が同一周期の振動から解放されない。
でもこんな静かな場所に来たのは初めてだ、と自分は思った。
全てが静けさにまみれていた。

ローディが出て来て、
非常な緊張感を伴った手つきで、
ノイズを減衰させて行った。
彼のフェードアウトには
遠ざかっていく跳ね石の様な豊かなニュアンスがあった。
スーパーカーが舞台で立てた最後の一音が
第三者の手によって美しく仕舞い込まれた。



2月27日

昨夜は意義深かった。
衝撃の新木場で話は済まなかったのだ。
終演後
弦を引きちぎったショックで手を切った絆創膏ナカコー君や
遠く優しい目をしたミキちゃんとだべっていると
空気公団山崎ゆかりさんからメール。
「中西さんと飲んでいるのだが
七尾君について熱く語り続けて手に負えないから来てくれ」とのことだった。
中西さんというのは齢40にして突如リトルモアの編集長を辞し
10代の頃から好きだった音楽家のマネージャーになった無茶なおっさんで、
現在、違いの判る若い音楽家の間で
ちょっとしたヒーローと成っている人だ。

僕は山崎さんに現状況を説明したが今一つ解ってもらえず
新木場まで行くから!と言い出してしまったので
その場に別れを告げ2人が飲んでいる方角へ向かう事にした。
俺について熱く語ってるという位だから
何か知らないけど、ホメてもらえるんじゃないか?」という淡い期待も有った。
最近どうもホメに飢えていたのだ。
しかし着いてみると2人はかれこれ一時間ばかり言い争いを続けた...。
俺は真ん中に挟まれしょんぼりしていた...。
ウォッカをあおるうち
自分も段々元気が出てきて
その後は非常に楽しんだのだが
すぐに閉店と成り不完全燃焼。
なぜか3人で松屋に行き、おひらき。
次回は頭から居たいものだ。




寝て起きてからごちゃごちゃ何かやって
『禁断の惑星』というSF映画を観た。
SF映画めったに観ないうえコレ全く期待して無かったのにさあ破格の傑作だったヨ...。
アポロの月面着陸より前なんだろうななんて思って観てたんだけど案の定
1956年初公開とあった。
外宇宙、アウタースペースではなく
早くもインナースペースが主題になってる。。。
イドの怪物。潜在意識下の怪物。
人間にとって、不変のテーマなのね。
僕自身が先述の中西さんとこで書いてた
ヒーリング系作曲劇画シンガーズ・ハイの、とある回も思い出した。
トワイライトマーブルという近未来のドラッグで
人々の潜在意識下の怪物が露になって
磁場崩壊して行くと言うような話を書いた気が。
それみたEYEちゃんが過剰反応してホメてくれたんやった。

人の心は豊穣な分だけ、怖い。
人は「イメージを具現化し続ける唯一の動物」という、奇妙な業を負っている。
目に映る全ての人工物が、人の心から出来ている。
お菓子も、服も、雑誌も、建物も、街もね。
オイラ達は、たくさんの人間の、イメージの重なりあいの中に生きている。

911からの一連の戦争。それに

インターネットの普及などでも、その事は一層露になった。
憎悪の種が蒔かれると、憎悪のドミノが出来上がり、
それは連鎖式に拡がり続ける。
喜びのドミノが必要だ。

人生はドミノ、不思議な事ばかりなり。

これからの作り手は
上の世代以上に「イドの怪物とのにらめっこ」を繰り返す運命。
わしらは皆、怪物を抱えている。

仏陀はただこう繰り返す。
喜びの種を蒔きなさい。

そしたらいつか、花が咲く。



昨年暮れ頃かな?
久々に漫画読んでみて、驚いた。
覗き屋、オカマ白書、殺し屋イチなどで知られる
山本英夫先生の『ホムンクルス』
なんちゅう傑作。
漫画って音楽同様、不味い意味でヤバくなり続けてんのかと思ってた。
こんな傑作が生まれてたなんて。

これも主題はイドの怪物。
しかし真直ぐにそれの救済に向かったところが美しく、価値が高い。
読んでいて僕は、涙を止める事が出来なかった。
濃密な問題作を連発し、常に時代の病理に切り込み続けてきた山本英夫さんが
とうとう、救済の物語に着手したんや。



2月28日

風呂上がりどうも寒かったのだった。
今年の冬はどうもキッツイな。
3度目の風邪の始まり。




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